綺麗ごとではない応援歌「俺節」

Review

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ジャニオタの元カノに誘われ、オリックス劇場で上演された6月24日の大阪初回公演を観てきました。

完徹をキメた状態で休憩含め3時間30分という上演時間は不安だったのですが、彼女の激しすぎる熱意と祈りによる4列目ド真ん中という神席のおかげか居眠りなどもなく楽しむことができました。ということで、観て思ったことを書いておきます。

レポートというよりは、主演である安田章大さんにフォーカスを当てた上での舞台作品そのものの感想文です。

俺節とは

舞台『俺節』は、ビッグコミックスピリッツで連載されていた同名コミックを原作とした作品。著者は土田世紀さん。都市に対置する地方人の泥臭さをテーマとして意識しており、数々の作品が実写ドラマ化もされています。

演歌歌手を目指して青森から上京したコージ。抜群の歌唱力を誇っているらしいが、気弱であがり症なばっかりに、いざ唄うとなると緊張してまともに唄えない。しかし、演歌に対する思いだけは、煮えたぎるように熱い。その熱に感化されたのか、お調子者のギター弾き・オキナワは、根城とするドヤ街・みれん横丁へとコージを連れて行く。そこでコージは偶然、ヤクザに追われているテレサと出会うことに。彼女は不法滞在中のストリッパー。コージの演歌は、彼女への思いが募るほどに加速する。
舞台『俺節』公式サイト

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ネタバレにならない程度に舞台版の核となる部分をざっくりまとめると以下。

  • 現実よりも夢を追う生きづらさ
  • 現実と理想的道徳
  • それぞれにとっての正解

主人公コージと、演歌界では珍しいコンビのような形でギター演奏を担う相方のオキナワ、惹かれあいのちに恋人関係に発展する外国人ストリッパーのテレサの3人を中心に物語は展開していきます。先行きが不透明でいわゆる “東京生活でのはみ出し者” なのは3人とも同じですが、考え方も違えばアプローチの仕方も違う。泥水をすする中でコミュニティを作っていたはずの面々が差異ゆえにすれ違い、もがき苦しみながらも地を踏みしめ進んでいくストーリーです。

私的 座長・安田章大のイメージ

これまでの人生、私の周りにはなぜかいつも熱烈なアイドルオタクがいました。たとえば今回誘ってくれた生粋のジャニーズオタクである元カノとの交際期間は7年近くにのぼり、そのため彼女からこの主演をつとめる安田章大という人となりについては散々聞かされてきた経緯があります。

男性芸能人に対してタイプ!とかイケメン!とか思うことがない純度高すぎる系レズビアンの私ですが、この安田さんの人間性、非常に好きなタイプです。もし女性だったらハワイ公演まで軽々と追っかけるハロプロオタクみたいになっていたかもしれません(前々彼女がコレ)。

1. 歌唱力が高い

安田さんが所属するのは関西出身の7人で結成された「関ジャニ∞」というアイドルグループで、おそらく一般的に「関ジャニ∞の中で歌がうまいのは?」と言われて一番に挙がるのは主に主旋律を担当している渋谷すばるさん。対して安田さんは上ハモが多く、ハモリという性質上あまり目立ちませんが、非常に高い歌唱力を持っています。少しクセのある歌い方ながら音域が広く、万人受けする声質。演歌を扱ったこの舞台にキャスティングされたのも納得だな、というのが観劇前の最初の感想でした。

2. ちょっとだいぶおかしい

イメージとして早々に内面に切り込んでいくと、まずちょっとオカシイ。別に服装の趣味がオカシイとかそういう意味ではなく、自身の精神世界を持っており、32歳になられるようですが未だにそこから出てきていないような気がします。精子や卵子を描いた自作Tシャツを気に入って着用していたというのはファンの間では周知の事実だそうですね。そういう類の、いわゆる芸術家肌というオカシミ。

3. cleverである

上記オカシミに伴う闇が深い。関ジャニ∞は全員が三十路を超えているにも関わらず、プライベートでも非常に仲がいいのはジャニオタでない人でも何となくご存知でしょう。で、メンバー間の関係性がまたおもしろい。実際のところは知りませんが、端から見ている限り安田さんはとても頭を使って立ち回っている人に思えるわけです。

たとえば最年長である横山裕さんに対してはちょっとぶりっこ気味で、長男気質の横山さんがつい手放しに可愛がってしまうような分かりやすい弟感を醸しだして接している。対して丸山隆平さん、グループ内のポジションとしてはお笑い担当ながら土曜朝のニュース番組で MC をつとめる彼なんかには少し上から目線で接することが多いように思えます。

もちろん先輩だとか同期だとかより旧い友人であるとか、いろいろあるでしょう。しかし、安田さんに対して頻繁に使われる「とにかく優しい」よりは「したたかで、意外とムラやブレがある」というのが個人的な印象になります。優しい一辺倒だとまるで菩薩かのように思えますが、私が感じるのはそれとは相反する人間臭さということですね。人間だもの。おぐを。

座長の目に見える努力

前述のとおり、安田さんの歌唱力は高いです。アイドルグループとして歌っているときに比べ、演歌らしくこぶしを利かせた非常に迫力のある歌ばかりでした。ステージを降り客席近くで唄うシーンでは床の震えがダイレクトに脚に伝わってくるほど。アイドルとしての歌い方とはまったく違い、憑依型の役者である彼らしく演歌歌手コージとしての唄い方になっていました。

見た目も非常に芋くさい。TVCM でビジュアルは見ていたのですが、より原作に近づけたのかもしれません。体格もかなり絞っていた気がします。引き合いに出すには大物すぎるかもしれませんが、西岡徳馬さんと比べ、あまりにも芸能人オーラがない(褒め言葉です)。ハイカラさがなく垢抜けない田舎者という役柄なので、人生の半分以上を芸能界で過ごしノリにノっているアイドルがここまで埋没できるのはその演技力によるものだと思います。

うっかり泣いた3シーン

日本に不法滞在し出稼ぎ中のヒロイン・テレサはストリップ小屋で働かされていますが、ショーだけではなく色を売る行為もその労働内容に含まれていました。そういったことに疎そうな上、いざ恋人関係になってもそれらを思い出し抱くことができない葛藤なんかは非常にリアル。抱けないコージも、抱かれないテレサもです。ここでコージはすぽーんと服を脱ぎタンクトップとトランクスになり、そりゃこれから致そうとするなら当たり前なのですが、傍から見ているとどこか非情に情けない。大人向けビデオを冷静に見るとすごくアホみたいに見えるのと似ています。それがまたリアリティに拍車をかけ、ままならない感情がよく表れていました。

また、一夜明けてから不法行為を行っている自身はコージの足枷になるとして自ら警察へ出頭したテレサのシーンもよかった。シャーロット・ケイト・フォックスさんという NHK 連続テレビ小説『マッサン』でヒロイン役だった女優さんがテレサ役を演じており、もともと日本語が話せる方ではないようで、縋りつくコージをたどたどしい言葉で窘め立ち去るところは隣に座る元カノに気づかれないように涙を拭いた覚えがあります。こういう女性の強さみたいなものにどうにも弱い。

最も泣けたのは、望まれない観客に向けて弱々しく演歌を披露したコージが「どうも、すんませんでした」と挨拶をするシーンです。安田さんが最も光るのは苦悶、苦痛、そういった類の演技だと思っており、この一言の心臓をぎゅっと鷲掴むようなトーンは私の語彙では表現できません。泣き笑いというのか…。「ありがとうございました」と言えない心情とそのステージに立つまでの経緯を思うと、多くの方が涙したのではないかと思います。

残念だったところ

本投稿のなかで最も個人的な話になってしまうこと、また本章にはネタバレが含まれることを予め断っておきます。

私がもつ安田さんのイメージは前述のとおり。大いに期待して観に行ったし、楽しんで劇場を出ました。しかし、少しハードルを上げすぎた。これは安田さんに起因するものではなく「彼の舞台であればこうだろうか、ああだろうか」と考えていた予想と違ったせいかと思います。泥臭く人間臭いと聞いて、それはもうものすごいのを想像していた。確かに泥臭く人間臭かったのは間違いないのですが、“キレイな泥臭さ” に収まったせいかもしれません。

私は主人公補正という現象がすこぶる嫌いです。物語には登場人物がいて、主役がいる。現実世界においては「人生という物語では自分自身が主人公だ」となるけれども、“作品” という物語においてはメインに据えられた登場人物が主人公になりますね。その主人公にとって都合が悪すぎる展開にはならないし、むしろスムーズに終焉へ向かわせるための恩恵が発生することもある。現実ではなく作品であるからには当然ですが、どうにもリアリティを求めすぎるきらいがあるのです。

それを如実に感じたのは、やはりラストシーン。アイドルグループを見にきた追っかけファンに囲まれて前座として歌うことになった、まったく畑違いの演歌歌手という立ち位置。先ほど泣けたシーンとして挙げた場面でもあります。

周囲からブーイングとともに物を投げつけられながら、かつ土砂降りの中でコージはオキナワが作った「俺節」を唄います。この曲を否定されることはすなわち自分を否定されることと同義であり、それでも構わないとオキナワが言い切った「俺節」。にも関わらず、強制送還される寸でのところで駆けつけたテレサに捧げるとして自分ひとりで唄わせてくれと頼みこみ、オキナワのギターを借りて独奏します。私の座席近くはステージが近いだけあって安田さんファンが多かったのでしょう、すすり泣く声がたくさん聞こえていました。

舞台が始まって3時間は経っていたはずですが、ここまででコージがギターを弾いたシーン、また弾けるのであろうと匂わせたシーンはありませんでした。とにかく唐突にギターを弾き始めるのです。原作は読んでいないのでどうだったのか分からない(舞台では省略されたのかもしれない)のですが、ギタリスト・安田章大のファンたちに向けたサービスシーンなのではないかと穿った見方をしてしまう唐突さでした。それまではコージであった人が、もはや安田章大以外の何者でもなくなってしまったように見えました。オキナワの思いと、彼を想ったコージの思いはどうなる? と急激に醒めてしまったわけです。

認められなかった拗ねと相方であるコージの将来性から身を引いたオキナワ。かつて自分を置いていった北野の姿を弟子であるコージに重ね、時代の波に翻弄され続ける大野。身体を売っていた過去をもつテレサを抱けなかったように人道的な意味合いでの潔癖さがあるはずのコージに、特にこの両者への慮りが感じられない盛り上がりに映りました。なにを犠牲にしても愚直に夢を追う演歌人という舞台テーマとして、あえてその描写だったのかもしれませんが。

総括

いろいろ言いましたが、笑いどころも泣きどころもきちんと設けられたいい舞台でした。年に何本も観る舞台フリークではないのと、海外からの輸入物ばかり観てきたため昭和の雰囲気とミュージカル調になじむのに時間がかかってしまったとはいえ、ナマで観てこその迫力と熱量を確かに感じました。

安田さんにフォーカスを当てて書いてきましたが、実はこの舞台で私が一番見たかったのが六角さんでした。西岡さんももちろん、失礼ながらお名前を存じ上げないのですが「さすが演歌を唄う舞台に出演するだけあるな」と思わされる歌声と何役も演じ分ける技量をもった名脇役の方々も、近かっただけあって些細な表情の変化から息遣いまでじっくりと堪能できました。

しかしながら “安田章大が座長をつとめる舞台” としては、個人的には『カゴツルベ』に軍配を上げたいところです。脚本が私好みすぎたのかもしれない。また、哀しみの中で息絶える次郎左衛門があまりにも美しすぎたせいかもしれない。『818』は色が違えど、安田さんが創った舞台だなぁと否応なく感じさせられるアートパフォーマーがレズ的に印象深く、次点に据え置きとなる形。

願わくば、また安田さんがつくり出す苦悶と絶望と悲哀の精神世界をナマで拝める機会に立ち会いたいものです。

追伸:
読み返してみて、私的な感想とはいえどうにも偏りが激しい文章になり「どうも、すんませんでした」。

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